2023年9月29日

ドイツと日本の文化の違い(謝罪編②)

【重要事項】(再掲)
*断定的な口調に関わらず、全て私の体験したこと、知見による憶測や推測です。
→私の説明に当てはまらない状況、人物は必ずいます。
*人権侵害や暴力を含む宗教行為などを除き、文化に優劣はないというのが私の持論です。あるのはその人にとってより合うか、合わないか、だけです。完璧な国や人は存在しません。
→私はドイツのローコンテクスト文化に非常に合わない個体です。遺伝子と環境によりそうなりました。合わないため、意識下で厳しく記載することがあります。
*私の経験上ですので、異論は存在します。
→つきましては、それらについて私に直接教えていただいても、反応するかどうかはわかりません。ご承知おきください。 

第2章 謝罪のとらえ方(第1章へ

要約
個人主義の背景もあり、無意識に自分の謝罪にはとてつもない効力があると思っているドイツ出身者が多いです。こちらは人に謝れないタイプの日本出身者にも散見されます。

何が起きるか
1度でも謝れば自分のできることは全てやり終わったと思う人が出てきます。つまり、相手が許していない事態を想像/理解できないために、その後の態度に差が出ます。1度でも謝罪したのならば相手は許しているはずだという前提で話を進めようとします。

☆日本においても同じですが、謝罪を受けたとしても、許さなければならない決まりも規則も法律もありません。謝罪をされても怒ってていいですし許さなくていいですし、一生根に持ってもいいです。被害者なので。喧嘩両成敗や許してあげたら?みたいなことを他人に言われても無視してください。大切なのは、自分の中でそれ(事件)がどう消化されていくかです。それにかかかる時間や状況は千差万別なので、条件が違う他人には口出し無用です。

個人主義と謝罪
基本的にドイツは個人主義です。つまり自分が1番であり、自分の意見や感情が1番重要であり、その他は二の次という教育を受けて大きくなります。謝罪をする理由も「許されて自分が楽になりたいから」という自分本位なことがあります。こちらは日本でも割と起きます。

例≫
許さないと相手に言った事柄に関して、「なぜ再度謝罪をしないのか」と問うと「許してもらえないのに?」と言われ辟易したことがあります。自分のために謝罪をしている。言葉もありませんでした。許されない=報酬がないならば謝らない。どこまで自分1番なんでしょうか。人に謝るというのは悪いと思っていることを伝える機会”ではない”人もいるようです。

終わりに
人と人とのコミュニケーションの中で謝罪という行為は重要な役目を果たします。
その人物と将来関係性を維持しなければならない、もしくはしたいと思っているのならば、謝罪は許されるまでが一連の行動です。許されない・謝らないのであれば、それはその人物との関係を切ると判断したと相手側に理解されてもおかしくはありません。諦めたのであればその人ごと諦めたことと同意です。

ということをドイツ出身者のほとんどが認識していません。なぜなら「そこまで考えない」からです。すべて自分が優先順位のトップなので、他の事柄について、この行為がどんな意味になるのか、この言葉のチョイスは無意識化でこう思っていることを示す等、考える人は少数派です。というか考えているドイツの人にどの場面でも会ったことないので会いたいです。
話し合いをすると言い訳トップ2のどちらかをアルティマウェポンとして使ってきます。パートナー曰く幼稚園からそう(言い訳1か2を使用するよう)教育されるとのことです。そして言われたら必ず許さないといけなかったそうです。


0 件のコメント:

コメントを投稿